広島市南区で自律神経失調症・整体施術なら

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院長あいさつ

ごあいさつ

こんにちは。


佐々木整骨鍼灸院 院長の佐々木 雅康です。


臨床歴40年、国家資格 柔道整復師・鍼灸師の免許を持つ経験豊富な院長自らがすべての患者様の施術にあたります。


【からだ】と【こころ】の痛み・こり・歪みを取り除くだけでなく、様々な不安や疑問を解消いたします!

誰でも最初はこのように思われると思います。


・どこに行ったら良いかわからない
・痛いのは嫌だな~
・本当に治るのだろうか~
・腕は確かなのかな~
・こんな症状で行っても良いのかな~
・どんな事(どんな治療)をされるの?
・なんか怖いな~
・どんな人が治療するんだろうか? などなど
色々な不安があって、心配だと思います。
『少しでも早く楽になりたいけど、ここで大丈夫だろうか?』
『自分が満足出来て納得できる説明を詳しく聞けるところに行きたいな』
『女性でも安心して治療を受けられるところが良いな』
『子供の治療もして貰えるのかな』
『うつやパニック、自律神経の不調、妊娠していても診てもらえるの?』
そう思うのが本心だと思います!


「来て良かった!」と笑顔で元気になって、帰って頂ける。そして困った時はいつでも信頼して来て頂ける治療院を目指しています!

これから先はお暇な方だけお読み下さい。(超長文です。)

院長の佐々木雅康がどのように育ってきて、どのように勉強してきたのか詳しく書いております。

私自身が自律神経失調症だった事がよくわかると思います。

佐々木雅康の詳しい経歴(日記風に書いています)

 

1963年 広島市に生まれ 小学校2年生くらいまで、非常に内気で人の目が見れず挨拶も出来ない暗い子でした。(笑)

ただ人見知りが激しくても遊び友達はいましたので不登校や引きこもりにならなくてすみました。いつも母親には「この子は内弁慶で・・・」と言われ続けていました。

≪いま思えば、父も母も社交的ではなく両親からの影響が大きかったと思います。≫


☆ボディーサイコセラピーでは 成育歴をかなり重視しています。今のあなたは、良い面も悪い面も 両親からの影響を受けています。

 

転機

ところが、小学校3・4年生の時 すごく良い先生と良い友達に恵まれ、そのおかげで勉強も楽しくなり、内気の性格もかなり改善され 学級委員にもなったりと、今の自分が在るのは、この時に出逢った先生と友達のおかげだと思っています。

その時仲が良かった友達は1人は東大へ、1人は京大へ1人は早稲田に行き、東大に行った友達はその後NHKに入り、しばらくして辞め、「タイマグラばあちゃん」「大きな家」と作品を創った映画監督 澄川嘉彦 だ。(自慢(笑))

4~5年前に35年ぶり?くらいにあった同窓会で 映画監督になった事を聞きびっくりした。

小学校5・6年生の時も今の自分にとって大切な時だった。

先ずは野球との出逢い!! 

これも5年の時に仲良しになった友達が、野球バカで 彼と遊ぶようになって野球の魅力にとりつかれた。

毎日毎日 彼と野球をしていた。

これも彼に会わなかったら私の人生は変わっていただろう。

しかし5・6年生の時の担任の先生は その時の自分にとっては最悪だった。(これも今の自分にとっては大切な出来事だったのだが・・・)

その先生は女子にヒイキをしていて、男子生徒はその事に反発し数名の生徒が荒れ(校内暴力とかではありません・・・)私自身も勉強をする気をなくし 成績は落ちる一方(野球にハマった事も原因ですが) 

まあ丁度 反抗期と重なったのもあったのでしょうが、いつも「3・4年生の時は良かった!」とつぶやいていました。

≪今の日本の学校のシステムでは先生を選ぶ事が出来ない。相性の悪い先生に当たる事は本当につらい事です。そんな時に何か違う はけ口があれば救われる。 心理系のオープンカンファレンスに参加すると不登校や引きこもり等のケースの相談が多いのですが、ホントに学校の先生の関わり方の影響は大きいです。≫


☆自分自身がどのような教育を受けてきたか、どのような環境で育ってきたか、今の自分自身を形作る重要な要素です。

 

中学時代

無事に小学校を卒業し中学に入ったのだが、もともとストレスを感じやすかった為、中学1・2年の時はずっと下痢をしていた。

毎朝 学校に行くと下痢で今から考えると軽い過敏性腸症候群だったようです。未だに胃腸は敏感です。毎日家で煮た梅エキスと正露丸は必需品でした。(苦笑)

中学でも野球にハマっていたのでそれ程下痢の事も余り気にせず(朝だけだったので)楽しむ事が出来ました。

中学では担任の先生にも恵まれ、勉強も再びやる気が起きまあまあの成績に落ち着きました。

野球部自体は弱かったのですが、先輩には元広島カープ達川選手がいて一度だけ練習中に活を入れに来た事がありました。

あと後輩に元広島カープ監督古葉さんの息子がいたので古葉監督が遠くから見に来ていた事もありました。 

あの頃は丁度 強いカープの時代の幕開けでした~。

懐かしい~(笑)

そうそう中学の時は、小学校4年生くらいから剣道もやっていたので初段を取って辞めてました。

剣道は好きでは無かったので、記憶の中に余り残っていませんでした。

 

高校時代

高校は第一志望の基町高校に入学でき、甲子園目指して頑張ったのですが、無理なトレーニングをやりすぎたため高2の冬から腰の痛みと左おしりから左脚の突っ張りが出てボールが投げられなくなりました。

秋の大会でエースが故障のため代わりに投げたのですが、夏の大会甲子園に行った広陵に勝ち、崇徳に引き分け 広商には負けたのですが なんとか県大会に出たのですが、県大会ではコロッと負けこの悔しさを晴らすため 負荷のかかるトレーニングが失敗の原因でした。

結局 夏の大会には間に合わず、ベンチには入れてもらいましたが引退。

この間いつもお世話になっていた接骨院や近所の鍼灸・漢方薬・整体・あとはその当時カープのトレーナーをされていた福永さんの所にも行きましたが駄目でした。(いま カープのトレーナーの石井は2年下の後輩です。)

≪しかし この腰痛のおかげで 今の自分が在る事は間違いありません。そう考えると、この腰痛は必要だったわけで、私にとっては非常に大切な出来事だったのです。当然 その時は 本当に憎らしく 恨めしく この腰痛のせいで大好きな野球が満足に出来なかったのですから・・・≫

 

ターニングポイント

引退後大学受験を目指し夏休みに河合塾に通っていたのですが、たまたま足首を捻り、酷い捻挫だったため、いつもお世話になっていた接骨院へ久しぶりに行きました。

≪これが 僕の人生の最大のターニングポイントでした。≫

その先生に足首の治療をしてもらいながら、フッと「こんな仕事もいいな~」と思い、その先生に「接骨院の先生になる為にはどうしたらイイのですか?」と尋ねると「専門学校へ行ったらいいよ。

佐々木君が本当になりたいのなら、明日からうちへ受付としてアルバイトに来なさい。」と言われ、それから毎日その接骨院へ学校帰りに行くようになりました。

≪本当に凄く運が良かったと思います。≫

それから受付&色々な事を教えてもらう事ができ、無事に専門学校に入る事が出来ました。

しかし親も学校の担任も先ずは大学に入ってからそれから考えろ!!って言っていたのですがもともと人の言う事を聞かないタイプだったので自分の意思を通しました。

今でこそ学校の乱立で簡単に専門学校に入る事が出来ますが、約30年前は学校も少なく、学校に入ること自体裏金を積んでもなかなか入れないくらい難しい時代でした。

そんな状況だったにもかかわらず、裏金なしですんなり入れた事は本当にラッキーで入学後専門学校の先生に聞くと、正攻法で入学できた人は全体の5%くらいだったそうです。

 

大阪時代

入学後夜間の学部に入ったので日中は中華屋でバイトをしていたのですが、折角なら勉強出来る所が良いと思い、夏休みから神戸の整形外科のリハビリに勤める事にしました。

約1年整形外科に勤め、卒業までに(その当時は2年制でした。今は3年)少し自分自身の内気な性格と人見知りをして人とすぐに話せない性格を克服するために(本当は遊ぶお金が欲しかったので。。。(笑))夜のバイトに勤める事にしました。

丁度梅田にいいバーがあり学校が終わる晩の9時過ぎから仕事に入り朝5時の始発まで働くという昼夜逆転の生活を半年ほど送りました。

そのお店は 北新地にも近く、新地のホステスさんが仕事帰りに客を連れて来たりしていたので、ホステスさんの接待の仕方を学ぶ事が出来ました。

あと女性に対して恥ずかしくて上手く話ができないというコンプレックスがあったので、丁度良い練習になりました。(笑)

約半年ほど勤めた後普通の生活に戻るとしばらく不眠と首のだるさがしばらく続き身体が不調だったのですが、昼夜逆転の生活をしていたから身体のリズムが狂い自律神経の調整が上手くいかないのだろと思っていましたが、あとから思うと、それだけではなくその当時卒業後の事で色々と考える事があり、そのストレスが身体に現れていたようです。

≪ホントにデリケートな人はすぐに精神的なストレスが身体で表現されます。≫

卒業後広島でお世話になった先生の所に帰るか?それとももう少し大阪に残り色々勉強して帰るか?という事で広島の先生に相談したら、あちらの先生は当然広島に帰ってくるものだと思っていたようで かなりショックを受けられました。

今にして思えば学校に入るまで色々と面倒を見てくれて本当にお世話になったのですが、自分自身とすればそれまでの付き合いで卒業後にそこに勤めるという話は一切してないし自分が自由にやりたい事をやれる!!と思っていたのですが、広島の先生はお礼奉公をするのが当たり前だと思っていらっしゃったようです。

確かにその当時は そういう時代だったのですが、卒業後に戻る話は一切なかったので自分としては何も間違った事をしてないと思っていたのですが。。。。

≪今現在 振り返っても 私自身は間違ったことはしてないと思っていますが、多分その先生は 佐々木君は裏切ったと思っているかもしれません。

今思う事は初めの時点でしっかりと話し合う必要があったのだろうな~と思っています。

暗黙の了解みたいなものはなしでしっかりと話し合う事。 

ほとんどの様々なこういった形のトラブルは コミュニケーション不足 いい勉強をさせてもらいました。 

失敗は無い!!あるのはフィードバックだけ!!”(NLPの前提))≫

 

専門学校卒業後

結局 大阪に残る事になり 専門学校で教えてくださってた先生の所へ弟子入り。(その当時は就職といった感じではなく徒弟制度的な感じでした。本当の徒弟制度では無かったですが・・・)

そこでは捻挫や骨折 脱臼などのスポーツ外傷の患者さんが多く 毎朝洗った包帯を何十本も巻く事が日課でした。


休みの日には関大のアメフト部のトレーナーとして出向いたり、モトクロスの救護班を手伝ったりと その当時はまだトレーナー制度が確立されてない時代だったので 最先端のトレーナー技術を学ぶこと出来ました。

この経験からスポーツ外傷が得意分野となりました。

その接骨院修業時代にもキネシオテープ・カイロプラクティックの講習会(丁度キネシオテープが開発された直後で2年間創始者加瀬先生に月1度習いました。)(加瀬先生は東京でしたが専門学校時代に腰の治療で少し通った事がありその当時はキネシオテープが出る前でホワイトテープを貼ってもらった記憶があります。)や現在西宮でバイオダイナミックス研究所所長をされている若本先生にアプライド・キネシオロジーを習ったり、内海先生が開発された仙骨無痛療法(MRT)を姫路まで習いにいったりと遊ぶ暇がないくらい勉強してました。

その後鍼灸も勉強したくなり今度は少し裏金(寄付金の事ですからね~)を使って(笑)すんなりと鍼灸科に入学しました。

鍼灸科に入ったことで鍼灸もできる治療院に勤めを変えました。

そして鍼灸の先輩の勧めで 「姫路東洋医学研究会」に通うようになりました。

その研究会は開業後もしばらく続けていましたから10年以上通っていましたね~。

現在の私自身の鍼灸の考え方(どちらかと言うと中医学ですが・・・)の基礎・基盤になるものを学びました。

新しい勤め先ではしばらくして分院を造る事になり分院長として開業前からのすべての準備を経験させてもらいました。

この経験は自分自身が開業するときに非常に勉強になりました。

約2年から3年分院長として頑張っている間も、姫路東洋医学研究会に通いながら鍼灸科にも通いながら、勉強を続け鍼灸科を卒業してから今度はPAAC(ユニバーサル カイロプラクティック)大阪2期に入学しまたまたカイロプラクティック(ガンステッド・ディバーシファイド テクニック SOT)を学びました。

 

開業

その後広島に帰りH3年5月13日に現在地・広島市南区東雲本町で開業しました。

開業時は保険治療(施術)を中心でやっていたのですがお昼休みに鍼灸の予約治療とほとんど休みなくやっていました。

皆さまのおかげで開業直後から非常に多くの患者さまが来られ、受付の女性も2人入り開業後2年してから1日80人前後(多い時は100人近い日があったと思います。)の患者さまをフル回転で診させてもらってました。

(多分 その当時は施術者1人でその人数を診ていたのは市内でもそんなにいなかったと思います。)

しかし余りにも忙しすぎて自分自身の中で「理想的な治療(施術)」が出来ず苦悩の日々が続いていました。

患者さまはシャッターが開く前から並んでくれてまさに行列のできる整骨院!! 状態。

本当にありがたい限りでしたが、忙しければ忙しいほど 自分自身の理想的な納得した治療が出来ない事に悩み・苦しみ・葛藤していました。 

その当時は休みになるたびに風邪をひき風邪もいつまでたってもなかなか治らないという最悪の体調でした。(普段が緊張して身体を緩める事が出来なかったので、 休みにその緊張が緩み 風邪をひいていたようです。)

≪今にして思えばこの時は 本当に自分中心で患者さまのことを全く考えていなかったと思います。

自分自身が納得した治療を目指しても患者さまの求めるモノを考えていなかった事を、今反省しています。 

自分自身と患者さまが共に納得したモノをこの時考えていれば違った形になっていただろうと今は思っています。≫

≪本当に心と身体は密接に繋がっていて様々な症状を引き起こす事を実感しました。≫

 

5年目の決意

5年になった時、開業当初の借金が終わり、この苦しい状況から一刻でも早く逃げ出したい!! 思いから保険治療を辞める決心をしました。

5年が過ぎた秋だった?と思います。

全面改装して保険外治療(自費治療)に切り替えました。

開業後も姫路東洋医学研究会よカイロプラクティッ あと枇杷の葉療法体質改善などの勉強会へ通っていたので、枇杷の葉療法・カイロプラクティック・鍼灸を中心に自費治療を行っていました。

初め1年間はそれまでの患者さまが高い施術料にもかかわらず来院くださっていたのですが、段々と 人数も減り経営危機に陥りました。

ただ、初めの5年間に比べると時間的にも余裕ができ少し自分自身も納得した治療(施術)が出来るようになったのですが、逆に今までに比べ時間をかけて丁寧に診ているにもかかわらず、「治らない!!」「難治な疾患!!」にぶち当たり自分の技術の未熟さを痛感しました。

そのため今まで以上に勉強会に行くようになりました。

というのも「経営危機の状態が続きこの機会を逃せばもう勉強会に出るお金も無くなる~ だから行けるうちにどんどん行こう!!」

普通の人では逆の発想で行きまくりました。

身体だけ診ていては治らないと思い、東京へNLPを学びに行きました。

(今は 結構 NLPを知っている人は多くなりましたが、その当時はほとんど知らない人ばかりでした。 結局 周りに誰も知っている人がいなかったので 習いっぱなしでしばらく自分の中で温めていました。)

それから京都のオステオパシー協会に入会し誇張法・CST(頭蓋仙骨療法)・カウンターストレイン・・・・を習いにも行きました。

ちょうどその頃友人から誘われ操体法創始者:橋本敬三先生の高弟・三浦寛先生の所に月2回東京まで通って操体法も習得しました。

多分その頃から5年くらいはオステオパシーと操体法にハマり鍼灸とカイロプラクティックはお休みしていました。

経営危機の状態で「信じられない~!!」と思われるほど勉強会に行くこと自体自殺行為なのですが、多分勉強会に行くことで現実問題(経営危機)から目を背け逃げていたのだと思います。

ホントに勉強が好きだった&自分の技術の無さに苦悩していた・・・・・

治療院の方は結局また保険診療を少し再開し保険診療と自費診療を半分半分にしたり予約と予約外の時間を作ったりと色々模索し、保険治療は予約外自費治療は予約という今のスタイルに落ち着きました。

受付に居てくれた女性2人にも辞めてもらい今は妻が受付に入り、アットホームになりました。

とはいえ、相変わらず今も経営危機は変わっていません(苦笑)。

ただ経営危機に対して自分自身捉え方は変わりました。

それは、【なんとかなる!!(笑)】


これだけ長い間 経営危機が続きながらもここまでやってこれたのだからこれから先も絶対大丈夫!! だと信じているのですが税理士さんからはしきりに「勉強会を止めて とにかく 経費削減!!」をずっと言われ続けています。(苦笑)

そういった状況で7~8年くらい前から地元のカイロプラクティクの勉強会に参加しそれから またまた色々な御縁で 東京の大和整体や岡山の古式筋膜療法、名古屋で身体呼吸療法、大阪で頭蓋胎生療法(今は名前が違うかな~?) 

トム・シェイバー氏にクレニオ・バイオダイナミックス(フェーズ1)Ten-lie氏にクレニオ・セイクラル、北海道まで行ってBASEを学んだりと第2期勉強会依存症時代になりました。(苦笑)

これだけにとどまらず、心理療法の勉強も同時進行で再開していて、再びNLPを地元で河野医師(実は基高の一つ先輩)に習いながら EFT エリクソン催眠 ボディーサイコセラピーも学び 並行して アレクサンダーテクニークフェルデンクライス ロルフィングなども体験したり習ったりとかなりの重症勉強会依存症状態でした。

40歳になり合気道と3年後から陳氏太極拳を習い始め現在も継続中です。

こうやって 昔を思い出しながら 書き出してみると~

「 怖ろしい~ 」です。

こんなにたくさん色々なモノを習ってきたのか~と思うと同時に本当に自分勝手にやりたい放題やってきたな~ そりゃぁ~経営危機に陥って当たり前!!って感じです。

≪色んなご縁でここまで色々な事を学ばせてもらった事は本当にありがたい事でただただ感謝しかありません。≫

この知識と経験を 来院された方にお伝えする事が ”私の使命”ではないかと~ 勝手に想像しております。(笑)

 

平成22年頃はボディーサイコセラピー資格コース(4年目)・身体呼吸療法・古式筋膜療法・六然社主催寺子屋講座・鑑定士講座・阿部 耕也氏の哲学講座を定期的・不定期的に勉強していました。

 

小さいころより なぜか 職人さんに憧れ、漫画では「包丁人 味兵」とかの料理漫画と当然野球漫画「巨人の星」とか「侍ジャイアンツ」「アストロ球団」「ドカベン」などを良く読んでいました。

野球と職人さんは全く関係ない感じがしますが、自分の中で才能とか技術とか努力とか根性とかがキーワードとなり「 何か人に負けない技術や能力を身に付けたい!! 」という思いがあるのだと思うのです、逆に言うと 「自分自身に 才能もなければ 内気で社交的でないから 自身が無く、人に負けない何かを得る事ができたら少しでも自分に自信がつき 自分が好きになれる!!」という気持ちがあるのだと思っています。(自己分析が得意なので(笑))

勉強会に行けば行くほど凄い達人と呼ばれる先生方にお逢いしこの先生のような凄い感覚や技術を身に付けたいと思うのですが、もともと持っている才能や努力。

努力は好きなのでコツコツやり続ける事は出来るのですが最後は才能の前に「自分には無理!!」って未だに感じてしまいます。

≪ただ無理って思ってそこで諦めたら、絶対に無理で 才能無いものは コツコツとやり続ける事しかないのだと思っています。(自分に言い聞かせています。(笑))≫

だから未だに料理とスポ根と医療系の漫画やドラマが大好きで今も「そばもん」「医龍」「はじめの一歩」「風の大地」「ワンピース」「ナルト」「北斗の拳」「美味しんぼ」「MAJOR」「サンクチュアリ」「上がってナンボ」「B B」・・・・などを疲れた時や気分転換に何度も読み返しています。

≪今まで 外に 多くのものを求めて 勉強しに出ていましたが、実は外には何も答えは無く 自分の中に すべての答えがあるのだろうと思っています。≫

考え続ける事・やり続ける事・深く入っていく事この3つがこれからの自分自身の課題なのだと思っています。

2022年現在、約2年前から始まった新型コロナの影響で研修会がほぼ中止。

その為これまで月2回以上行っていた研修会も行くことが出来ずロシア武術のシステマとSUP(スタンドアップパドル)だけを行う2年間でした。

ロシア武術のシステマでは自分自身の身体とこころを自己観照し、SUPでは海の上で波の感覚を身体にインプット!

今まで以上に自分自身の身体とこころの状態が研ぎ澄まされ今まで学んできたことに活かされています。


こんな私に診てもらいたいと思われましたら、是非ご来院してください。
今の自分に出来る事を精一杯やらしてもらいます。

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